2015年元旦

三重合同法律事務所事務所コラム

2015年1月

2015年元旦


新年あけましておめでとうございます。  昨年は広島の土石流,御岳山の噴火など思いもよらない自然災害で多数の犠牲者が出ましたが,自然災害は人智の及ばないところがあり,自然の脅威を思い知らされました。  他方,私たちの社会に目を転じれば,政府は昨年7月1日憲法9条の解釈を変更して,集団的自衛権を発動できる閣議決定を行いました。自衛隊を海外に派遣して戦争できる道筋をつけようとするものです。これまでの政府解釈は,自衛隊を自衛のための必要最小限度の実力装置と位置づけてきましたが,その枠組みを取り払ってしまったわけです。  安倍政権は,自衛のためとかどんなに美名を尽くしても,中東など戦闘地域に自衛隊を送り込んで戦争することをもくろんでいるわけですが,戦前の日本とどこが違うのでしょうか。日本が先の大戦で欧米列強と戦争した時も「油」の確保が目的の一つでした。再びそのような愚かなことをして人命を失わせようとするのでしょうか。これはもう人災という外ありません。  人災は未然に防ぐことが可能です。私たちもこれを阻止するため微力を尽くすとともに,今年も平和や人権など憲法の価値を背負いながら皆様の期待にお応えしていきたいと考えております。


特定秘密保護法とはどんな法律


弁護士 石坂 俊雄

風子: 先生、特定秘密保護法という法律が昨年12月に施行されたそうですが、どんな法律なの。
教授: この法律は、①防衛、②外交、③スパイ活動の防止、④テロ防止のための情報は、国の安全保障上重要な情報であるとして秘密してしまう法律だよ。
風子: 誰が安全保障上重要な情報であると決めるの。
教授: それは、各省の大臣が秘密情報であると指定すると特定秘密として秘密になったしまうのだ。
風子: それって、政府に都合の悪い情報を国民に知らせないということにならないの。
教授: その心配は十分にあるね。何が秘密であるかが秘密だから、政府が違法な秘密も秘密にしてしまうと、その内容は分からないこととなるね。
風子: でも、国の情報は国民のものでしょ。いつかは、秘密に指定した情報も国民に明らかなるんでしょ。
教授: それがそうでもない。秘密指定の期間は、原則5年間だが、更新ができ、30年まで更新が可能だ。また、内閣の承認を得れば60年まで更新できる。更に、「武器・弾薬・航空機その他防衛に要する物」等は60年を超えても秘密にできることになっている。
風子: そんなことは、ダメよダメ・ダメ。60年も秘密なら、私は生きていないわ。違法秘密をチェックする機関はないの。
教授: 政府は、「内閣保全監視委員会」、「独立公文書管理監・情報保全観察室」という二つの機関を作るといっているが、いずれも内閣府に作るから、独立性がないんだ。また、政府は、秘密情報の提示を求められても、安全保障上問題があるといえば拒否できるんだよ。
風子: 国会はチェックできない。
教授:  国会にもチェック機関は作るが、これも、政府が安全保障上問題があるといえば国会への提出も拒否できるんだよ。だから、チェック機能は働かないことになるね。
風子: この法律の適用を受けるのは、外交や自衛隊に関与している国家公務員だけなの。
教授  そんなことはないよ。警察官も秘密を知ることになるから地方公務員にも適用され、秘密を取得した新聞記者や国民、軍事産業に係わっている民間の従業員にも適用があるよ。
風子: 秘密に指定した情報が漏れたらどうなるの。
教授: 秘密を漏らした公務員は、罰せられるし、秘密を取得した記者や国民も最長10年の懲役刑を受けることになるね。何が秘密であるかが秘密でしょ。例えば、原発反対の運動をしていた原発関係の内部文書を手に入れたりしたら、突然、国家の秘密を取得したといわれる可能性があるね。
風子: そんなことは、絶対、ダメよダメ・ダメ。
教授: 秘密情報を取材する記者や内部告発をする公務員が刑罰に処せられることを恐れて萎縮することが、一番怖いことだね。報道機関は、勇気をもって、違法な秘密は国民に知らせる努力をして欲しいね。
風子: ところで、先生、今年もマラソン等の身体を酷使することを続けるつもり。
教授: それは、身体が基本だから、しんどいけど、制限時間で切られるまでは、走るよ。 


うれしい逆転勝訴


                   弁護士 村田 正人

 名古屋高裁の民事裁判は、始まったとたんに終わる1回結審である。高裁には第1部から第4部まで4つの部があるが、第2部を除くすべてで1回結審である。第2部だけは名古屋方式が維持されている。これは、1回目は法廷を開かない弁論準備手続で始まり、当事者の言い分を直接ラウンドテーブルで聞き、数回の繰り返しのあと、手続きを打ち切り法廷を開いて結審する方式である。弁護士の立場からすると1回結審方式よりも名古屋方式が好ましい。控訴理由書だけでは、果たして真意が伝わっているか、はなはだ疑問だからである。原被告の当事者が、裁判官に直接話す機会があるという点でも名古屋方式が優れていると思う。しかし、この方式は、裁判に時間がかかるという理由で無くなりつつある。名古屋方式が全盛時代、裁判官の手持事件は100件程あったが、現在は30件程に減っていると聞く。第2部の裁判長は来年に退官するので、その時点で名古屋方式はなくなり、過去の語りぐさになるだろう。しかし、これは弁護士にとっては、ゆゆしい事である。1回結審では、逆転勝訴は望むべくもないからである。

 憂鬱な思いの中、うれしい逆転勝訴があった。高裁民事3部は、26年9月24日、津地裁松阪支部の全面敗訴判決をひっくりかえす逆転勝訴を言い渡した。事案は、土地改良区の旧理事による換地清算金の不正使用で、判決は、理事の不法行為と認め、189万円の支払いを命じた。さらに、26年10月30日、高裁民事3部は、津地裁伊勢支部の全面敗訴判決をひっくりかえす逆転勝訴判決を逆転勝訴を言い渡した。ゴルフボールが床をころがる欠陥住宅の事案で、損害賠償1312万円が認められた。これらは、1年あるいは5年をかけた審理の末の逆転勝訴である。1回結審では、とても獲得できなかったものである。審理をやり直してくれた第3部の裁判長や裁判官に感謝の意を伝えたいが、残念なことに多くの裁判官は交替していない。そもそも、1審のひどい判決は、審理不尽に尽きる。証人尋問や当事者尋問を採用しないで切り捨てる「件数落としの裁判」が原因である。民事裁判でも誤審はあってはならない。「大部分の判決が間違っていなければいい」ではなくて、1件でも「勝訴すべき者が全面敗訴するようなことがあってはならない」と思う。しかし、現実は、事実の解明に努力せず、当事者の納得のいく裁判をしない「件数を落としの裁判」に出くわす。「絶望の裁判所」(瀬木 比呂志著、講談社現代新書)ではなく、「勝訴すべき者が勝訴する」希望の持てる裁判所にするために、国民目線の裁判所批判が一層必要だと思う。

 


今年から相続税が変わりました


 弁護士 伊藤 誠基

 既に本格的な高齢化社会を迎えていますが,相続の問題を真剣に考える高齢者の方々が増えています。亡くなった後,自分の遺産が誰に相続されるのか,あるいは誰に相続させたいのか,考えると悩ましいものです。

 高齢者だけでなく,これから相続を受ける側の立場の方々も否応なく相続問題が我が身に降りかかってきます。そんな時,忘れてはならないのは,相続税の負担の問題です。

 これまでは,相続税の基礎控除が「5000万円+1000万円×相続人の数」でしたので,これを超えない限り相続税を支払う必要はありませんでした。相続人が妻と子どもが二人なら遺産が8000万円(5000万円+相続人3人×1000万円)を超えない限り相続税の問題は発生しません。

 ところが,今年1月1日以降の相続では,基礎控除額が「3000万円+600万円×相続人の数」になりましたから,前の例で言えば,遺産が4800万円を超えると課税され,税負担の可能性が相当高くなります。また,相続税率も少しアップします。この差は結構大きいので,今しきりに税負担を軽くするためと称した商法が展開されています。反面、居住用宅地はこれまで240平方メートルまでは評価額の80パーセント減額されていましたが,来年から330平方メートルまで拡大されます。

 IMG_0018遺産総額が基礎控除額を超え,相続税を納付すべきことになった場合,相続税の申告時期は相続の開始があったことを知った日から10か月以内に,被相続人の住所地を管轄する税務署に相続税の申告をする必要があります。相続人間で遺産分割協議(誰がどの遺産を取得するかの協議)が成立すれば,連名で申告書を提出します。

しかし,遺産相続に争いがある場合,よく問題になるのは,紛争が解決しなければ申告できないのではないということです。こういう場合は,各共同相続人が法定相続分に従って相続したと仮定して納税額を計算し,各人が確定申告し,とりあえず納税しておけばよいわけです。

 ただし,この場合配偶者に対する相続税の負担軽減措置あるいは小規模宅地等の特例は適用されません。そして,その後遺産分割が完了した場合,取得額が法定相続分を超え,納税額が増えれば修正申告し,不足額を納付します。

 逆に納めすぎた場合は更正請求して取り戻すことができます。更正請求は分割の確定から4か月以内に行うものとされていますので注意が必要です。理屈で説明すれば,それだけのことですが,紛争が長期化すれば,現実に遺産を取得してないのに相続税をいかに支払うのか,厳しい問題が突きつけられます。

 高齢化社会の進展により遺産争いが増えていくことが予想されますが,遺言を作成するにせよ,遺産分割協議を進めるにせよ税負担のことも考えながら検討を進めていく必要があります。戦後社会が本格的な相続問題に直面したことはありませんでしたから,法制度も未整備なところがあり,私たちもあらゆるケースを想定しながら期待に応えていきたいと考えています。

 


原爆投下国際法違反訴訟事件判決(下田判決)の紹介


弁護士 森  一恵

[原爆投下国際法違反訴訟事件判決(下田判決)とは]

1963(昭和38年)年12月7日,東京地方裁判所判決は広島・長崎における無差別の原子爆弾投下は国際法に違反すると判断しました。この判決は原告の1人である下田隆一氏の名前をとって,下田判決と呼ばれています。

下田判決がなされてから本年で52年になりますが,現在でも,核兵器使用の違法性について,裁判所が判断した意義は大きいです。

011506

[下田判決の概要]

1 原子爆弾の投下行為と国際法違反の有無について

下田判決は,米軍による原子爆弾の投下行為と国際法違反の有無について,

 「原子爆弾の加害力と破壊力の著しいことは,既に述べたとおりであつて,広島,長崎に投下された小規模のものであつても,従来のTNT爆弾20,000トンに相当するエネルギーを放出する。このような破壊力をもつ原子爆弾が一度爆発すれば,軍事目標と非軍事目標との区別はおろか,中程度の規模の都市の一つが全滅するとほぼ同様の結果となることは明らかである。従って防守都市に対してはともかく,無防守都市に対する原子爆弾の投下行為は,盲目爆撃と同視すべきものであつて,当時の国際法に違反する戦闘行為であるといわなければならない」。

 「原子爆弾による爆撃が仮に軍事目標のみをその攻撃の目的としたとしても,原子爆弾の巨大な破壊力から盲目爆撃と同様な結果を生ずるものである以上,広島,長崎両市に対する原子爆弾による爆撃は,無防守都市に対する無差別爆撃として,当時の国際法からみて,違法な戦闘行為であると解するのが相当である」と判断しました。

2 原子爆弾の使用と戦争法の基本原則違反の有無について

さらに下田判決は,原子爆弾の使用と戦争法の基本原則違反の有無について,「原子爆弾の破壊力は巨大であるが,それが当時において果して軍事上適切な効果のあるものかどうか,またその必要があつたかどうかは疑わしいし,広島,長崎両市に対する原子爆弾の投下により,多数の市民の生命が失われ,生き残った者でも,放射線の影響により18年後の現在においてすら,生命をおびやかされている者のあることは,まことに悲しむべき現実である。この意味において,原子爆弾のもたらす苦痛は,毒,毒ガス以上のものといつても過言ではなく,このような残虐な爆弾を投下した行為は,不必要な若痛を与えてはならないという戦争法の基本原則に違反しているということができよう」と判断しました。

[下田判決を踏まえての今年の抱負]

日本では現在,集団的自衛権行使を容認する閣議決定など,海外における武力行使に道を開く動きが進んでいます。これは,日本国憲法の恒久平和主義の理念に反し,日本が再び戦争に参加することにつながりかねない動きです。

日本が再び戦争に参加することになれば,無防守都市に対する無差別の核兵器使用により「多数の市民の生命が失われ,生き残った者でも,放射線の影響により生命をおびやかされ,不必要な苦痛」を受けるという下田判決で指摘された同じ過ちが繰り返されることになりかねません。

  私は日弁連の憲法問題対策本部の委員として,日本が同じ過ちを繰り返すことのないよう,日本国憲法擁護に努めてまいります。
  今年度もよろしくお願い申し上げます。

 

 


ご無沙汰しました


弁護士 福井 正明

 IMG_0166 この度、私は療養を終え、仕事に復帰することになりました。
 石坂弁護士を始め事務所の同僚の弁護士の支えと妻悦子及び友人の岡田医師の支えがあったればこその復帰でした。
 実際は、2014年9月1日から徐々に仕事に関わり始め、10月29日現在、自分のペースながら執務するようになりました。
 過去、何が原因で何がどうであったか。そんなことは、今となってはまったくどうでもよいことで、振り返る必要はないと思っています。それより、早く全開モードに移行することを希望しています。
 依頼者の皆様方には大変ご迷惑をおかけし、また心からご心配をいただき、申し訳けなく思っています。
 以前の様に、率直でアグレッシブな仕事スタイルをモットーに弁護活動をしていきたいと思いますので、よろしくお願いします。


原子力発電について


写真 村田雄介弁護士 村田 雄介

1 第57回人権擁護大会について

平成26年10月2日,3日の二日間に渡り,函館で日本弁護士連合会主催の人権擁護大会が開催されました。

原発についても,シンポジウムが開催され,原子力専門家の小出氏らの対談,函館市長工藤氏への函館市による原発建設差止訴訟についてのインタビュー等がありました。そこで、今回は、原子力発電所についての同大会の報告を交えながら、現在の状況について批評したいと思います。

2 原子力発電の始まりについて

原子力発電は,ウランを燃料として核分裂による熱エネルギーを利用して発電を行うため,二酸化炭素を排出しない環境にやさしいクリーンエネルギーとして耳目を集めた発電システムです。

そもそも原子力(核分裂エネルギー)の利用は,第2次世界大戦中のマンハッタン計画において本格化し,核爆弾を作るという軍事目的に始まります。著書「ファインマン物理学」でも有名なファインマン博士がその計画に携わっていたことは有名ですが、その利用は軍事目的がまずあって、その副産物として経済的利用が始まったために、リスク評価が十分に行われないまま来ています。

3 原子力発電の利点とされた点について

確かに,原子力を利用すれば,少ない資源(ウラン)で膨大な熱エネルギーが取り出せることは確かです。結果,石油に依存しない世界を目指すという目的自体も非難されるようなものではないと思います。

しかしながら,原子力発電は,現在に至っては,東日本大地震等によりそのリスクが顕在化し,依然のように盲目的にその利用を肯定できなくなったのは誰の目にも明らかです。

4 原子力発電は,現在では利点がなく,リスクがあまりに大きいこと

⑴ 資源量としてのウラン

原子量発電に利用するウランは,エネルギー資源としてのその究極埋蔵量は,わずか7.4×1021Jであり,石炭の310×1021J,天然ガスの24.7×1021J,石油の20.6×1021Jと比較しても僅少です。この究極埋蔵量の低さは,ウラン燃料の再処理,プルトニウム燃料加工,高速増殖炉,高速炉燃料再処理のウラン・プルトニウムの再利用サイクルの技術が未だ確立されておらず,この技術の確立の見通しが全く見えないためです。

⑵ 現在に至ってもリスクが解消されないこと

また、核分裂のコントロールの難しさはもとより、使用済核燃料(高レベル放射性廃棄物)の処分が現在の科学技術力であっても実現の見通しがまったくたっていません。すなわち,日本国内で、人類,ひいては世界へ悪影響を及ばさない形で10万年にも及ぶ長期の保管を行うことは現時点での技術力では不可能とされています。

5 今後の原子力発電の帰趨について

原子力発電の稼働については,①即時に全て廃炉にすべき,②緩やかに全て廃炉にすべき,③多少だけ残して廃炉にすべき,③積極的に利用すべき,とその立場は多数に渡ります。

しかしながら,先に見た現在の原子力発電の状況,その制御の困難性・処分困難性に鑑みれば,原子力発電の早期再開を認めるわけにはいかず,大飯原発の稼働の差止めが認められたのは,訴訟としては画期的であるものの,世の中の流れとしてはそうあるべきだったものと思えます。

今後も原子力発電所の再稼働問題は続きますが、私としては、少なくとも拙速な議論のもとに早期に再稼働することには反対です。


マスコミのニュース価値感覚とのズレ


弁護士 加藤 寛崇

 最近、代理人として、ある地方自治体を相手にした訴訟を起こしたら、どこのマスコミにも知らせていないのに、最初の口頭弁論期日が開かれる前から、複数のマスコミ(新聞記者など)から、その事件について問い合わせがあった。以前に、国を相手にした訴訟を起こしたときにもそういうことがあったので予想していたことではあるが、どうもマスコミは、国や地方自治体を相手にした訴訟だと注目することが多いようだ。

 訴訟は公開が原則なのだから、マスコミが、取り上げるに値する訴訟がないか、いろいろ捜すこと自体は悪いことではない。なので、それ自体はいいのだが、マスコミが注目して取り上げようとする事件と、弁護士サイドから見て取り上げるに値する事件とでズレを感じることもしばしばある。

私が代理人として扱った事件で、ある住宅街の隣人争いがあった。私の依頼者は、隣人から、「あいつ(依頼者)が、飼っている犬の糞尿を側溝にわざと垂れ流している。臭くてたまらない。」などという事実無根の悪口を近隣などに言いふらされて、非常に迷惑を被っていた。そこで、依頼者は、その隣人に対して、名誉毀損等による慰謝料等の損害賠償を請求する訴訟を起こし、判決で、隣人に対して賠償が命じられた。

三重県のような地方で、こういった隣人の悪口が訴訟に発展して判決に至るというのは中々珍しいことではないかと思われたし、隣人でも根拠なく悪口を言いふらしたりすれば賠償責任を負うのだということを世間に知ってもらう意味もあると思い、判決後、依頼者側の了解の上で、当該判決結果を報道各社に知らせた。

だが、どこのマスコミからも問い合わせはなく、報道もされなかったようである。隣人争いの訴訟だから報道する価値がないということでは、おそらくない。1977年から鈴鹿市で起きたいわゆる「隣人訴訟」(近隣のよしみで預けていた子どもがため池に溺れて死亡したことで、預けた両親が、預かった両親等に損害賠償請求訴訟を起こした事件)は、判決後、広く報道された。そうすると、今回の事件が取り上げられなかったのは、人が死んだりすることがなく、事件としては地味だったから、マスコミ側からは無価値に見えたのだろうか。むしろ、そういう地味なトラブルでも訴訟にまでいくということに意義があると考えたし、特殊な事件ばかり報道するよりも参考になりそうな判決を報道するのにも意味があると思ったのだが、マスコミ側の感覚とは合わなかったようだ。残念である。





ページのトップに戻る