福井 正明の記事一覧

三重合同法律事務所事務所コラム

福井 正明の記事

詩経」 周南第一詩「関雎」に思う

2019年8月13日


弁護士 福井 正明

  「関雎」  かあかあみさご
 関関雎鳩      関関たるみさごは
 在河之洲     河の中洲に在り
 窈窕淑女      たおやけき乙女は
 君子好逑      君子の好逑
               
                かあかあと鳴くみさごは
                河の中洲にいる
                たおやけき乙女は
                領主の良きつれあい
 詩経は今から3100年から2600年ほど前から中国で音楽として歌われてきた詩である。これを各地に求めて「詩経」として編纂したのが孔子である。中国で最も古来から歌われてきた詩として、「五経」の中でも最重要視される。日本でも古くから親しまれ、紀貫之の「古今和歌集」序文にも引用されている。しかし、歌われた年代がBC1100年からBC600年に成立したとされ、他方、万葉集は奈良時代の終わり780年頃成立したとされていることから、その1890年も前の詩が記録されていることが信じられない。
 しかし、今から3100年も前の詩歌となると、拠り所とするものが乏しく、その意味解釈は、1960年頃までは主に朱熹とか毛氏などの儒学者によるところが多かった。
 そのため、この詩経巻の一「関雎」は、読んで字のごとく、「領主のための幸福な結婚を祈る歌」(吉川幸次郎「詩経国風上」岩波書店1979年)とされていた。
 しかし、この間の殷墟や周、春秋戦国時代の遺跡の発掘をはじめとする考古学、民俗学、宗教学、金文学から甲骨文字学の研究の著しい進展は、この十数年の間に、この素朴で単調な詩経の解釈に革命的変化をもたらした。
 この詩について、白川静博士は「みさごは海辺の巌島に棲む猛禽なので房中歌としての「雎鳩」の発想としてはふさわしいものではない。おそらくはカモメのような川鳥であろう。この詩は原詩を改変したもので、原詩は祭事詩、「雎鳩」は鳥形霊としてその発想に用いられたものであろう」(「字通」白川静平凡社刊平成8年)としている。
 そこで、新解釈は以下のとおりとなった。
      クワーン クワーンと鳴くみさご(祖霊)は
      黄河の中州に降り立つ(降臨して下さった)。
      たおやかな巫女は
      祖霊の好きつれあい。(「君子」とは封建領主ではなく、一族の祖先神である。)
              (石川忠久新書漢文体系15「詩経」明治書院平成14年)
 以前から、「みさご」と、「河の中洲」とはどういう意味があるのかよくわからなかったが、新解釈は明確である。
 「みさご」は祖霊神が降臨する姿であり、降臨する場所は、洗い清められたきれいな場所をあらわす「河の中洲」である。領主をあがめるのは孔子以後の儒教の考えであり、古代の人が拝むのは、領主ではなく祖霊である。乙女も「つれあい」、即ち、婚姻儀礼の巫女と考えてこそ神をもてなす役割が明確になる。
 これら研究の結果、詩経の古いものには、祭事詩が多く含まれていることが明確になり、意味不明の儒教のこじつけ的解釈から解放され、本来の古詩の姿に戻りつつある。
 これをBC300年頃蒐集編纂した孔子は偉大であるが、それが歌われていた当時の人々の考えや生活様式、祭祀儀礼や風習などを現代に復元しようとする古代学者の研究成果も偉大である。


足立美術館で思ったこと

2018年8月16日


弁護士 福井 正明

GEDSC DIGITAL CAMERA 自由法曹団5月集会の後、 久しぶりに足立美術館を訪ねた。一度では意味が分からなった絵も二度目には分かるようになると感じる。
 足立未術館の収蔵品は極めて多数である。日本画家の作品の所蔵で知られているが、とりわけ横山大観の作品が有名である。その作品「紅葉」(1931年)は、秋色を赤や黄色の鮮やかな色彩で描いていて大観らしい代表作の1つである。
 「山海二十題」のうち、「雨霽る」「海潮四題・冬」(1940年)なども大観の代表作であり、作品の売上金を陸海軍に寄付したことでも話題になったが、作品自体は、大観がそれまで描いてきた日本の海山の美を描いたものである。戦争前夜を反映してか、前出「紅葉」に比べると、背景が暗い。大観が富士を描いた美しい絵もいくつか展示されていた。富士は大観の定番である。北斎の「富嶽三十六景」のようだ。しかしその中で、富士山頂の左側に赤い太陽を描いた「神国日本」1942年(昭和17年)はどうか。
 実際の富士山周辺において、このような位置に、赤い太陽が昇るのを見られる場所があるのだろうか。写実ではなく創作だとしても、地球は右回りに自転しているから、太陽はどこの国にも東から昇る。よって、何をもって神国の証しとするのかが不明だ。この作品が発表された前年の1941年12月8日には、日本軍はハワイ島を奇襲し、大戦果を挙げたと喧伝していたから、それに触発されたのかもしれない。この作品は国家神道のイデオロギーが前面に出すぎて、自然を愛し美しい日本の風景を描く大観の絵の作風の原点からはかけ離れている。ままある駄作の一つと思う。
 残念ながら、これら足立美術館所蔵の作品を見ただけでは、大観の作風の経時的変化を感じ取ることは難しいように思った。
 東京国立近代美術館は、長期に亘る大観の作品を所蔵しており、作風の経時的変化を鑑賞するにはよい場所である。
 大観が上記「神国日本」を描いた1942年の6月7日、日本海軍はミッドウェー島周辺海上でアメリカ海軍と交戦し、米軍艦載機の攻撃を受けて主力空母4隻全部を撃沈され、海軍の攻撃力は壊滅状態となり、太平洋上の制空権を完全に失った。
 1944年(昭和19年)、大観は「南冥の夜」を描いている(東京国立近代美術館蔵)。この絵は、それまでの画風とは打って変わった異様な景色だ。冥い海に波高く、椰子の葉が映る島も冥く、絵の左方上空には雲間に白色の球体が多数描かれている。
 ミッドウェー海戦の2か月後(1942年8月)、日本軍はガダルカナルから多くの戦病死餓死者を出して退却を余儀なくされ、南部、中部太平洋全域で攻勢に転じたアメリカ軍に対し、日本軍兵士は補給のない中、絶望的抵抗戦に入った。そして、敗北につぐ敗北。追い詰められた日本軍はジャングルの中で戦病死者、餓死者多数を出した。さらに、アメリカ軍は1944年6月から、サイパン島の攻略を開始し、3か月の上陸掃討戦の間、日本軍も島民も島の北部においつめられ、多くの者が断崖から身を投げたりして犠牲になった。南の島のこれらの惨状は、大観も聞いていただろう。であるから、この海は冥く、島も冥いのである。白球は戦病死餓死あるいは玉砕した者の魂であろうか。
 それまで戦争の実態を見ないまま、日本画壇を代表する画家として、日本の風景の美を描き、収益金を軍に寄附して戦意を鼓舞して来た大観にとって、いくら寄附しても太刀打ちできないほどの米軍の圧倒的兵力に包囲され、補給も退路も断たれた中部南太平洋の島々の多数の同胞の絶望的抵抗戦の凄惨な結末を知り、大きな衝撃を受けたであろう。
 この時、大観の心に去来した、沈痛な思い。まだ太平洋周辺の各地に残る同胞の運命の暗い見通しがなどが、悔恨の念とともに正直に描かれているように思う。
  大観の戦後の作品には、大観らしい海山を描きながら、イデオロギーとは一線を画した作品がある。
 1952年(昭和27年)の「満ちくる朝潮」(三重県立美術館蔵・但し、展示は限定された期間)は、早朝の薄い光の中で白砂青松の浜に、沖の方から朝潮が波の列をなして満ちくる作品である。進みつつある戦後復興を波になぞらえ、新生日本が復興し、平和な朝を迎えることを祝う気持ちを象徴している。
 大観の一番いい作品はこの絵ではないだろうかと思っている。
 機会があれば鑑賞をおすすめします。


トランプ氏の発言によせて

2018年1月1日


                     弁護士 福井正明

 Exif_JPEG_PICTURE実機「ワコー YMF5スーパー」の5分の1モデルです。アメリカの大手模型企業「グレートプレーンズ」社の完成機ですが、そのクオリティーの高さは驚嘆すべきものでした。梱包も本当に丁寧になされており、全くキズはありませんでした。尾翼や脚部、胴体フィレットなど、微妙なカーブを要するところは、ごく薄いFRPでカバーされ、成形塗装済みでした。その塗装は、黒に赤の縁取がきれいに施されており、張られたフィルムにも段差やゆがみが全くない完璧なものでした。
 そこで、その送られてきた巨大な箱の底を見ると「Made In China」。やはり、そうでした。こんなレベルの高いものをアメリカで作ったら(もう職人がいないから実際には作れないと思いますが・・)絶対に売値6万2000円では作れないでしょう。正直言って、もし日本やアメリカで作ったら、その5倍値はすると思います。30年程前にアメリカ製のキット(未完成の素材と設計図)を取り寄せたことがありましたが、それだけでも7万円位かかりましたから。
 アメリカの有名メーカーは、2、30年前から中国に進出して、現地生産の設備投資をし、技術開発や人材育成を一貫して行っています。20年30年もすれば、こうやって育成された中国の職人(大半が女性ではないか)の技術レベルも、日本のプロの職人のレベルに達しているように思われます。
 トランプ氏は「アメリカの企業が外国で工業製品を生産するのは、アメリカの雇用を減らしている」と批難していますが、アメリカには、もう何十年も前から、モデルを完成まで仕上げる設備も無いし、職人もいないのです。
 日本も同じで、生産は中国やベトナムで行なっているのが実情です。
 そこに技術者がいるからです。設備も人材もいないところでは価格競争ができるような製品はできません。
 ここで、実機の「ワコーYMF5スーパー」の話をしてみましょう。本機は、流麗な曲線、すらっと伸びた胴体と美しい尾翼のシルエットが特徴で、「空飛ぶ貴婦人」とも称されます。この機体は「クラシックエアクラフト」社(今は「ワコー・クラシックエアクラフト」社に名称変更)が、旧「ワコー コーポレイション」社が製造販売した1930年代の「ワコーYMF3」をベースに、現代の新しい技術で再検討し、新技術を加えて、現代の複葉機として1990年ころから世に送り出している新しい古典的複葉機です。旧「ワコー コーポレイション」社は1920年創業で、数々の複葉機の傑作機を世に送り出した傑出した会社ですが、第2次世界大戦中、金属製の単葉機がローコストで大量生産される時代を迎え、終戦と同時に生産を停止してしまいました。
 そして複葉機の多くが廃棄されたり、農業用に改造されたりしましたが、中には複葉機の独特の雰囲気が好きな人もいて、個人が部品を集めたり修理したりしながら、維持していました。そして、朝鮮戦争の休戦協定が結ばれた後の1960年に第1次の複葉機ブームが起こりました。でも、この時は複葉機のような古いものを作る企業はありませんでした。個人が中古品を寄せ集めでレストアしたものが人気を呼びました。
 そして、その30年後、ついに、全く新しく製造された「ワコーYMF5」がリリースされたのでした。
 これを、フランス語で「Noubeau Antique」(新しいアンティーク、即ち、アンティークは新作できないものだが、それをやった)とも評されています。
 この「ワコー・クラシックエアクラフト」社のミシガンの工場を見学した日本人のレポートによると、50人ほどのスタッフがフル稼働状態で、飛行機の各部分の製造に取り組んでいて、エンジンのオーバーホール、胴体の鋼管溶接、主翼のリブの製作など、どれも1930年代のそれを洗練した形で再現するかのようです。しかし、どの労働者も生き生きと働いており、ワコーを作っていることにプライドと喜びを感じているとのことです。
 そして、世界中から押し寄せるあまたの注文を尻目に、2か月に1機のペースで生産を続けているとのことです。ただし、今は、ホームページまで開設して宣伝していますから、実際の生産はもっとペースアップしているでしょう。
 新品の価格は、なんと1機5500万円から6000万円するそうです。20年以上の中古機でも2000万円程度で取引されるとのこと。
 アメリカは、ライト兄弟の人類初飛行(1903年)から、一貫して、飛行機は職人が作るという文化の国です。だから、現に職人が多くいるし、「ワコーYMF5」のように、いい物を作れば、高くても世界に売れるのです。日本にも数機(最低2機以上)輸入され、飛んでいます。
 これに比して、日本人がアメリカ車を買わないのは、取り回ししにくいし燃費もよくない。要するに、日本で乗るには完成度が低いからです。純粋に技術力の差です。トランプ氏から不公平貿易などと批難される筋合いはありませんね。


参議院選挙で考えたこと

2016年7月1日


弁護士 福井 正明

Exif_JPEG_PICTURE 麻生副総理が、「ある日気づいたらワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんです。誰も気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね」と発言し、物議を醸したことは記憶に新しい。
 正確には、「ナチス憲法」など制定されたことはなく、1932年7月ナチスが選挙で第1党を占め、同年11月の選挙では議席を減らしたが、第1党を維持し、ついにヒンデンブルグ大統領はヒトラーを首相に任命した。そこからナチスのむき出しの暴力支配が行われることになる。1934年2月27日いわゆる「国会議事堂放火事件」を機に、ヒトラーは、ヒンデンブルグに迫って「民族と国家防衛のための大統領令」と「ドイツ国民への裏切りと反逆的策動に対する大統領令」(ワイマール憲法の国家緊急事態条項による「大統領令」)を使って、基本的人権に関する主な条項「表現の自由、集会結社の自由、労働基本権」を停止し、反対派政党議員の逮捕、監視、抑圧を行い、ナチ党員の反対者に対する熾烈な組織的暴力・強迫・威迫によって、身の危険を顧みず異を唱える者はいなくなった。
 そして1933年3月23日「全権委任法」(「授権法」)が制定された。 この段階で、ワイマール憲法を超える立法権を、政府、即ち、ヒトラーが掌握したのである。しかし、「ナチス憲法」は制定されなかった。というより、制定する必要が無くなってしまったのである。
 ワイマール憲法は残っていたが、ナチス支配の下では、「民族共同体」こそが価値の根源であり、その意思を体現する総統の指導が、「国家の民族の指導原理」であるというおぞましい独裁体制にすり替えられてしまっていたからである。優生保護が叫ばれ、障害者に対する人体実験と強制断種が行われ、アーリア人種の純血の保護が叫ばれ、ユダヤ人狩りと強制収容所での虐殺が平気で出来た。
 何故、こんなことが法的に出来たのであろうか。
 それは、近代憲法における「立憲主義」とは、そもそも国家権力が濫用されないように、国民の権利を条文で約束する契約(社会契約)なのに、ナチス政権下においては、憲法が停止された状態(国民の権利を守る約束がない状態)であったから、といえる。それはワイマール憲法自身が、「憲法停止の非常大権」を大統領に与えていたことによる。国会議事堂放事件に乗じたヒトラー首相の迫りに対し、ヒンデンブルグ大統領がこの「緊急条項命令」を発令し、国民の基本的人権の保障を停止した、ということが、誤りの始まりである。
 そもそも国会放火事件と国民の基本的人権の停止命令には何らの関連性も必要性もない。
 安部首相は、大規模災害や外国からの武力行使があった場合、内閣で基本的人権に制約を加えるいわゆる「緊急事態条項」を加えることを主張しているが、これらの場合、何故、基本的人権が制限されなければならないのか全く説明になっていない。基本的人権は尊重しながら、これらの場合、避難させたり救助させたりすることは既に「災害対策基本法」など、現行法に規定があり、憲法の人権保障規定を停止する理由は全くない。
 ワイマール憲法の非常大権の二の舞はしてはならない。
 理論的にも「緊急事態条項」や「非常大権」は、人権保障規定の凍結であることを忘れてはならない。「大規模災害」や「外国からの武力行使」などは「ドイツ国会議事堂放火」と同じまやかしに利用される。
 次に、何故ナチスが「ナチス憲法」を制定しなかったのか。立憲主義は権力を縛るから、独裁制においては「立憲主義の憲法」は邪魔になるからである。
 人民に対して、指図するのは総統命令であり、その強制力の源泉は「(アーリア)民族共同体」の意思を体現するヒトラー総統であったのである。このようにして、新たな政党の設立は禁止され、全ての批判勢力を粛正して大虐殺は行われた。
 その体制下に1934年4月24日、「刑法及び刑事訴訟法改正のための法律」によって、「反逆及び売国行為の罪に対する判決のため、民族裁判所を設置する」、「民族裁判所の判決に対してはいかなる法的手段による対抗も許さない」と規定される「民族裁判所」が設置されたのである。
 その初代長官には、ヨエルンスが就任した。ヨエルンスは、ローザルクセンブルグやリープクネヒトらの虐殺事件の担当検事でありながら、犯人に対する尋問を行わず、勾留請求も行わず、勾留後も犯人らに保釈を与え、軽罪を約束し、また判決前に被告人の逃亡を黙認した人物であった。
 「民族裁判所」の目的は、その4代目パジリウス長官が述べたように「裁判することではなく、国民社会主義の敵を抹殺することである」、またゲッペルスは、「判決が合法的か否かは問題ではない、むしろ判決の合目的性のみが問題なのである。裁判の基礎とすべきは、法律ではなく、犯罪者は抹殺されなければならないとの断固たる決意である」と述べている。
 この「民族裁判所」はドイツ敗戦まで続き、約5000人が「合法的に」死刑判決を言い渡された。
 人権保障機能を果たせなかった。敗戦後、「民族裁判所」の裁判官は、殺人罪で起訴され、「民族裁判所」で死刑執行された人を含め、有罪判決を受けた者の名誉は回復されたが、一旦、立憲主義を放棄してしまうと、権力者は、殺人行為さえ「合法的に執行する」という例である。その始まりが、ワイマール憲法下の大統領の「緊急命令」「非常大権」による基本的人権の停止にあったことは忘れてはならない。


AEDについて正確に知っていますか。

2016年1月1日


弁護士 福井 正明

 空港、駅、劇場、公会堂など人が多く行き交う場所で、赤いハートマークにAEDと表示された器械が設置されているのを見たことがあると思います。また、心臓電気的ショックを与えて蘇生させる装置であることや、その使用法についても、地域社会、学校、職場などで講習を受けられた方もおられるでしょう。10年前は何百万円もしていたAEDですが、今や数十万円で購入できるようになり、今後、もっと広く普及していくものと思われます。
 私は、ある救急医グループ(SOS-KANTO委員会)の英語の医学論文を翻訳する仕事上の必要に迫られました。結果、AEDの登場してきた背景と臨床現場での必要性をリアルに理解することができましたので、書き留めます。
 「AED」とは正確には、「自動体外細動除去装置」といいます。
 何らかの理由で突然心臓が停止した場合、発生直後、その約63%は、正確には本当の「心停止」ではなく「心室性細動」あるいは「心室性頻脈」(以下まとめて「細動」といいます)という状態にあるとされています。これはいずれも、血液を全身に送り出す「拍動」ができず、「心室」の筋肉が細かく震えたり痙攣したりしている状態を指します。
 そして、この後、分刻みで、加速度的に、この「細動発生率」(※「細動発生率」=救命可能性)が減っていきます。6分後は40%に、12分後には30%に、30分後には5%に、そしてその後は細動のない真の「心停止」となり、この段階に至れば救命できません。
 AEDは、まだ「細動」の状態にある間に、「細動」を体外で自動計測し、「細動」を検出すれば、強い電気ショックを与えて一旦細動を止め(除細動)、正常な拍動を再開させる装置です。「細動」を検出するために心臓の前と後ろに通電パッドがあてられ、装着すると自動計測を始めます。細動検出するための装置と電気ショックを発生させるための高電圧発生措置が内蔵されていますので、計測が始まると、患者の体から離れないといけません。
 ですから、この「細動」のある状態をどれだけ長くもたせられるかが、蘇生させることができるがどうかを決めるポイントということです。
 何もしないでいると、倒れてから30分で「細動」発生率が5%まで激減してしまいますので、迅速に処置しなければなりません。
 ところで、倒れたその場に居合わせた人が救命処置(心臓マッサージ100回/1分、人工呼吸3回から4回/分)を行った場合、どういう結果であったかというと、倒れてから24分、27分が経過しても「細動」発生率は、35%の高さにあり、30分経過した時点でも18%の高さにある。つまり、それだけ救命可能性が生まれたということです。
 知人の医師に聞いたら、救命処置のうち、口移しでの人工呼吸ができないという人は、無理にしなくてよいそうです。患者の血中酸素濃度は30分程度ではそれほど下がらないし、人工呼吸で送り込める酸素の量もそれほど多くないからです。それよりも、心臓マッサージは力を入れてやるべきだと、ということです。心臓を守るためではなく、脳を守るためだから、ということでした。
 さて、この大事な救命措置は、心臓の部位を1分100回程度強く両手を重ねて押すということですから、誰でもできるはずですが、日本の場合救急搬送を受けた患者の4分の1しか救命措置を行われていないのに対し、アメリカのシアトルでは2分の1の患者が救命措置を受けているとのことです。遠慮がちな日本人の性格が現れているかもしれません。
 しかし、それでは命は救えません。
 SOS-KANTOの論文が書かれたのは10年前です。救急車が到着するより早く対処ができた方がよいのは明らかで、AEDが広く大勢の人間が利用する公共施設に普及していったのは当然の結果であると思います。
 今ではAEDは普通に手の届く価格になりました。そうすると、例えば、自治会が買って診療科目を問わず、最寄りの診療所に備えてもらうとか、コンビニに備えてもらうとかいったことも可能です。さらに、これだけ日本で広く普及してきますと、漫然と救急車の到着を待つのでなく、救命措置を積極的に行いながら、AEDをお飾りにしないで借りてきて積極的に使用する、そして救急救命士が到着するまでは、救命措置(心臓マッサージ)を続けるといった臨機応変の対処が住民の大切な命をつなぐことになるのではないか。そういうように考えるべき時代が、もう来ていると思います。

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少しずつ

2015年7月31日

弁護士 福井 正明

 昨年秋から、少しずつ体を慣らしながら、仕事に復帰し始めました。
 長いトンネルを抜けたと思ったのですが、またトンネルがあったりして思うように一直線離陸とはいきませんでしたが、仕事については少しずつ良い結果が得られる感触を得ています。
 事件に関してはあまりお話することはないので、私の趣味についてお話します。重要な画期が2つありました。1つは、Maquart Charger5という大型複葉機(スケール1/4)の操縦系統の全部更新に成功したこと、エンジンの再調整後、再飛行に成功したこと。どっしりとしていながら運動性も兼ね備えた最高の飛びっぷりでした。実機はホームビルト機でネット検索でも多数ヒットします。

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 2つ目は、Aeronca C3(スケール1/5)というパラソル機の復元飛行に30年振りに成功したことです。34年前にキットから作り、30年前に突然墜落し、胴体を大破しましたが、私の友人が引き取って途中まで修理してくれていたものでした。機体を見ますと友人の苦労が偲ばれます。アライメントを再修正し、修正に修正を重ねてやっと再飛行にこぎ着けました。
 再飛行は少し風のある中、ふわっと上がったと思ったら、風にあおられよろっとしつつ立て直して上昇していきます。
 実機はエアロンカ社の1929年製で、「空飛ぶ湯船」というニックネームで呼ばれて今でも飛んでいます。この機体の特徴は、舵が曖昧な感じでびしっと決まらない点です。ドアはなく、開けっ放しの開口部から胴体に風をはらむので、風の影響を強く受ける構造です。パラソル機とは、主翼と胴体が一体化しておらず、主翼に胴体がぶら下がったパラソルのような形という意味です。舵の曖昧な感触は、この形から来るようです。それでもこれもなんとか再飛行に成功し、復活させることができました。
 このように仕事の面でも、全面復活できるようにしたいと考えています。


ご無沙汰しました

2015年1月1日


弁護士 福井 正明

 IMG_0166 この度、私は療養を終え、仕事に復帰することになりました。
 石坂弁護士を始め事務所の同僚の弁護士の支えと妻悦子及び友人の岡田医師の支えがあったればこその復帰でした。
 実際は、2014年9月1日から徐々に仕事に関わり始め、10月29日現在、自分のペースながら執務するようになりました。
 過去、何が原因で何がどうであったか。そんなことは、今となってはまったくどうでもよいことで、振り返る必要はないと思っています。それより、早く全開モードに移行することを希望しています。
 依頼者の皆様方には大変ご迷惑をおかけし、また心からご心配をいただき、申し訳けなく思っています。
 以前の様に、率直でアグレッシブな仕事スタイルをモットーに弁護活動をしていきたいと思いますので、よろしくお願いします。





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